くつひもむすべない

一次二次問わずたまに18禁の小説を載せるブログ

朧月夜

  何だかんだ言ってこの男が自分のすることに弱いのは元より知っていたことだからだ。
「月、綺麗だな」
「そうだな」
告白してるんじゃないぞ」
「知っている」
「月に虹の糸が巻きついているみたいだ」
「随分詩的な表現だな」
「俺、ロマンチストなんだよ」
そんな取り留めのない会話をしながら寄り添う。普段ならばこんなに密着することもないし、自分からこんなこともしない。だが今だけはこんなことも許されるんじゃないかと思った。鬼丸はきっと他の男にはこんな行為許さないだろう。許されるのは自分だけだ。自分だけ、この位置を独占できる。
「なぁ、知ってるか。こういう月が霞んでいる空のことを"朧月夜"と言うらしい」
「"朧月夜"と言ったら源氏物語だな。確か和歌にちなんだ名前だとかいう」
「"照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき"、だな」
「彼女は宴の夜に光源氏と出会って東宮の女御に入内する予定だったが、関係が発覚して破棄されたんだってな」
「悲しいもんだな」
「それに二人が出会ったのは桜の季節だったようだ」
「春は恋の季節とも言うしな」
「随分ロマンチックなこと言うな」
「だから俺ロマンチストなんだって」
元の主が死んだのも旧暦の五月だったな」
鬼丸が声を潜めて言う。どことなく声色が暗く、童子切は鬼丸の顔を見ないように俯いた。
きっと"あの男"のことを言っているのだろう。永禄の変で討死した、あの元の主のことを。
お前、そんなの覚えているのか」
「たまたまだ」
「本当か。それにしては随分と声が暗いが」
「様々な人間の元を渡り歩いてきた。あの男はそのうちの一人だったに過ぎない」
「思い入れはないのか?」
どうだろうな」
少し声色が明るくなって顔を上げる。見ると鬼丸は嫣然と笑っていた。
死は人間に必ず訪れる。どんな豪腕の武将でも逞しい勇士でも平等に死は訪れる。
自分たちもその逃れられない運命を受け入れているはずだった。既に悟っているはずだった。
「人間は脆いな。いつかは必ず死ぬ」
「物もいつかは壊れる。だけど俺たちは何百年経っても元気なまんまだ」
「色々な人間の元で色々な刀と出会ったが、俺たちまた巡り合ってしまったな」
「全くだな。腐れ縁というやつか」
「嬉しくない」
鬼丸は童子切の方を向き見据えた。その表情はどこか淅瀝なもので、童子切は戸惑った。
思わず身体を離した。未だ見つめてくる鬼丸に童子切はどこか居心地の悪さを感じた。
耐えられず口を開こうとして、突如腕を引っ張られる。
腰に手を回され身体が密着する。状況を把握した途端、着物越しに体温が溶け合い、熱が上昇する。鉛の体を動かそうとも力が強く振り解けない。蜘蛛の糸に絡め取られた哀れな蟲のようにじわじわと責められる。ゆっくりと雁字搦めにして逃げられないように、壊れないように。
亡失した人間のことは記憶の片隅に消え、いつかは忘れてしまう。逆に忘れたくても忘れられない奴もいる」
……………
「どんなに離れようともまた巡り合う。磁石みたいだな」
……何が言いたいんだ」
「人間の体は良い。無卿をかこつようなこともないし、刀であった時には出来ないことが出来る」
互いの顔は後少しで触れてしまいそうなほど近く、目さえ逸らすことが許されなかった。
鬼丸は獲物を捕えた獣のように不敵に笑い、童子切の手に触れた。己の指と絡め、離れないように慈しむような手つきで固く結んだ。
童子切の意識が手に向かった途端、隙ありと言わんばかりに視界が覆われた。
互いの唇が触れ合い熱く重なる。思ったより鬼丸の唇は温かく柔らかい。舌で唇を舐められると、肉が蕩け合うように温度が上昇し角度を変えて何度も触れさせる。
っは、おまえ
漸く唇が離れると、息を吸った。人間の体を得てから鬼丸と口付けを交わしたことなど数えるほどしかない。なのになぜか手慣れたその行為に戸惑いつつも、未だに口付けは慣れない行為だった。
「そんな目で見るなよ」
お前が突然そういうことするから」
「そんな物欲しそうな顔されたら我慢できなくなるだろう」
「そんな顔してない」
息を整えながら童子切は鬼丸を睨みつけた。だが向かい側の男は素知らぬ顔で悠然としていた。
そんな態度に内心苛立ちを覚えながら童子切は立ち上がった。
「何だ、もうお開きか」
「お前とは付き合ってられん」
「冷たい奴だな」
「ふん、お前なんか寝坊すればいいんだ」
「それはお前だろう」
睨めつくように鬼丸を見て足早に去る。でないと向こうが何をしてくるかも、自分もどうなるかも分からず動揺を表に出してしまいそうになるからだ。
どこか楽しそうな背後からする男の声が頭の中で響きながら、先程触れられた手を握る。
わずかに残る体温と感触にまた熱が上昇するのを童子切は感じた。