くつひもむすべない

一次二次問わずたまに18禁の小説を載せるブログ

Nightmare Counseling

待つ宵、黒い帳が空を飲み込もうとしている頃。
本丸の玄関には複数の刀剣男士が集っていた。全員武装を身にまとっており誰もがその顔には覇気が感じられるものだった。
「みんな刀装は大丈夫ー?投豆兵ちゃんと持った?」
粟田口の短刀、信濃藤四郎が甲斐甲斐しく部隊員たちに確認する。しっかりしているところは流石粟田口といったところか。ちなみに来歴から妖物退治をした経験はない。
「おー、準備万端だぜ。いつでも行ける。鬼退治は専門外ではあるけど…まあ何とかなるだろ」
柄の長い槍を抱え今度は御手杵が若干気の抜けていながらもどこか頼もしさが感じられる返事をする。こちらも妖物退治の経験はない。
「よっしゃー!鬼退治だー!行くぜ!じっちゃんの名にかけて!
部隊員の中で最も張り切った様子の獅子王が元気よく鼓舞する。妖物退治の経験に関しては、元主である源頼政が鵺を退治した恩賞として下賜された刀であるが本刃自体が妖を斬ったことは無い。しかし、全く妖に関係ないとも言えない来歴を持っていてこれから鬼を討ちに行くという興奮と、純粋に戦に出られるという喜悦で相手が何であろうと怖めず臆せずといった様子だ。
そんな三者三様、ひいては喧喧囂囂としている三振りを少し離れたところで眺めているもう三振りの刀剣男士がいた。
「彼らは威勢がいいねえ」
源氏の重宝​────髭切が感心したように言う。大雑把を好む飄逸な禀質のこの刀は、向こうの三振りのいづれにも当てはまらず至極落ち着き払っていた。
「今さら相手が何であろうと怯む連中もいないだろう。もっとも、鬼を切るのはおれの役目だが」
朗らかな表情の髭切とはうってかわり気難しい表情をしているのは───いつもと変わらないのだが​───粟田口の太刀で、天下五剣の一つに数えられる鬼丸国綱だった。この本丸にやって来たのも今の主の元に鬼が来る夢を見たからであった。今となってはようやく手に入れられた安住の地として居着いているが、鬼丸にとっての重要仕事は鬼を切るということなのはどこにいようが変わらないものだった。さらに、今回の出陣ではこの部隊の長を審神者より直々に任命されたのだった。まるで、「存分に鬼を狩ってこい」と言わんばかりの配置だ。
「鬼といっても本物の鬼ではないけれどね。鬼に扮した時間遡行軍、つまり鬼の贋物ってわけさ」
「ふん、そんなことはとうに知っている」
髭切が鷹揚と指摘すれば、鬼丸はつまらなさそうにそっぽ向いた。髭切の言う通り今回彼らが討ちに行くのは本物の妖としての鬼ではなく、あくまでも鬼に扮した時間遡行軍である。本物ではないということに鬼丸も正直のところ落胆を隠せないでいたが、今はなんであれ鬼の姿をしていようがただ敵を倒すのみと気持ちを切り替えているのだった。それに扮装だろうと鬼の姿をしているのならそれはもう鬼本物と同然だろうというある種の詭弁じみた言い分も胸中に秘めていたが、それはもちろん他の刀に言うことはなかった。
「まあ、鬼退治は武家の役目だから────ね、童子切?」
髭切がそれまで一切口を開くことなく伏し目がちで物思いに耽っていた最後の一振り、童子切安綱に問いかけた。髭切に話しかけられたことに数秒経て気づくとはっとしたように顔を上げた。
「悪い、考え事をしていた」
「考え事とは珍しいね」
「今になって怖気付いたか」
「ああ、違う違う​────鬼退治は武家の役目、だったか。そうだな。昔は鬼に限らず妖などの人智を超えた存在の対処は力あるものに任されていた」
まだ武士が大々的に台頭する前、平安の都では妖が跳梁跋扈していたがそうした輩を膺懲するために時の権力者、つまり朝廷に仕える者である武家の者たちがその役目を担っていた。武家の者は武芸に秀で、当時の絶対的存在である朝廷に仕える者たちに妖退治を任せるのは至極当然のこととも言えるだろう。
「そう考えると、鬼切りの逸話があるのも武家の刀である俺たちの特権とも言えるね」
「はは、確かにそうだな」
この三振りにはそれぞれ鬼を切った逸話がある。宇治の橋姫の腕を切った髭切、主が夢に魘される原因となった鬼を切った鬼丸、そして丹波国大江山に住まう酒呑童子の首を切った童子切。それぞれ性質の違う鬼を切っているが、どの逸話も銘々の名の由来に、あるいは存在や価値を確固たるものにする標榜となっている。刀にとって切ったものとは、己を構成する要素の一つとしてある意味愛着すら覚えるものでもあるがそれと同時に己を悩ませるものともなった。童子切にとって旧怨の敵である酒呑童子の首を刎ねたことこそが輝かしい経歴の第一歩であり己がいかに業物であるかを証明する誇りであるのに、この鬼を切った故に受けてしまった"傷"への悲嘆という矛盾した感情も抱いていた。徳川、豊臣などの天下人には忌憚され、傍に置かれることはなかった。その後、徳川秀忠の娘、勝姫の松平忠直への輿入れとして越前松平家へと移るが忠直は乱行を繰り返し流罪、勝姫は家の問題に強く干渉したが故に衰退を招く原因となってしまった。それらを知ったものたちは口々に言った。「童子切の鬼を切った鬼の呪いのせいでああなったのだ」と。妖物を祓った刀はいくらか妖気を帯びてしまうことも珍しくない。しかし、本当に鬼を切った呪いのせいで招いた結果なのか、それともただの偶然の重なりなのか。それがわからない以上何の答えも出せなかった。この境遇は鬼丸も同じだ。鬼を切ってしまったが故に持ち主に不幸を齎す刀だと言われ遠ざけられた。一定の場所に居着くということには誰よりも敏感だ。だからこそ、この本丸もようやく見つけた己の居場所だと安心しているのかもしれない。童子切は、それが己の呪いのせいであれ何であれ一度持ち主となった人間を再び不幸にさせてしまうようなことだけは避けなければいけないと思った。遠ざけられるのではない、傍で仕えて守り抜くために。その誓いを胸にこの本丸に刀剣男士として顕現したのだから、絶対に信念は曲げてはならなかった。
「​────俺たちは"真正面から"鬼を殺すことができるか?」
始原、かの源頼光とその配下たちが大江山へ都を騒がす鬼を征伐しに行ったとき。山伏に扮した頼光らが鬼たちの宴に紛れ込み、神便鬼毒酒を飲ませて寝首を搔くという手筈で行われた。大将酒呑童子の首を刎ねたとき、酒呑童子は「鬼に横道なきものを」と言った。確かに頼光らが行ったことは言うなれば騙し討ちと呼ばれるものだった。酒呑童子らは人の渡世を踏み荒らす悪鬼であり、為政者(アジテーター)の敵であった。善悪の区別など人側に立つか、妖側に立つかで変わるものだがそれでも童子切にとっては空恐ろしいものでもあった。刀剣男士である己に、今となっては自らこの手で己自身を振るうことができる肉の器でどう鬼と渡り合うことができるのだろうか。はたして、正々堂々と戦い抜くことはできるのか。童子切の胸裡に翳が落ちそうになった時、不意にその声によって打ち消された。
「​───できるよ。僕たちならね」
髭切の琥珀色の双眸が童子切を捉えた。その瞳にはこれ以上ないほどの自信が表れていた。
「今さらそんなことを気にしているのかお前は。ただ向かってきた鬼を切り伏せるだけだ」簡単なことだな」
鬼丸も同じように曇りのないその瞳で言い放つ。ふたりの言葉を聞いて童子切は一番大切なことを忘れていたことに気づいた。
「そうだ、そうだった。ひとりじゃない、お前たちがいるんだ」
ひとりでは不可能なことでも、仲間がともにいるなら出来るかもしれない。なぜそのことを失念していたのかと童子切は己を深く恥じ入る。
「人間ではできなくとも、おれたちは刀だ。刀でなければできないことがあるだろう」
言い方はぶっきらぼうだが、その心根に優しさを含んでいることを童子切は誰より理解していた。この刀はそういう奴だと忘れるはずがなかった。
「本当にその通りだな……俺たちにしかできないこと、やってみせよう」
ひとつ、柔く笑ったあと眦を決したように童子切は空を見上げて、息を吸う。夜の気配、夜の匂い、そして目を閉じれば今にも妖の気配、血の匂い、戦の匂いが漂ってくるのを容易に想像できた。
鬼丸が向こうにいた三振りを呼び寄せる。もうすぐ出陣の時間だ。
​────逢魔時。日が沈んだ後の、人ならざるものと出会うという時間。太陽が沈み、月が歩み寄ろうとしている。すぐ傍までやって来ている、この二つとしてない夜が。
​─────さあ行こう
都へのゲートが開かれた。鬼狩りたちの夜が、始まる。