くつひもむすべない

一次二次問わずたまに18禁の小説を載せるブログ

良薬は口に苦し

 童子切安綱という男は残酷な男だ。
一見するとそんな男には見えない。虚勢を張っている。あの男は自分を偽ること、他人を欺くことに長けているのだ。
あの男には見せかけだけの"優しさ"というものを持っている。長閑で穏やかで泰然として寛大な心を持っている。だから周囲の者はその優しさを享受して心を許してしまう。
その優しさはある者には"薬"となり、ある者には“毒"となってしまう。
あるいは恵みを齎す"泉"となれば、心身の弱った者を引きずりこむ"底なし沼"ともなる。
あの男の優しさは道化のようなものだ。あの男を信用してはならない――― 大包平はただ一人、思案に暮れた。

 

*

 

童子切が負傷した。しかも重傷らしい。
まるで耳寄りの情報を持ってきたとでも言いたげな表情の同郷に大包平は思わず苦虫を潰したような顔をする。それを見て同郷、鶯丸は口角を上げて言う。
「お前のことだからあれやこれや論うかと思ったが」
その言葉に思わず眉間を押さえてしまう。この男は自分を何だと思っているのだろうか。童子切がどんな理由であれ、負傷したならそれは紛れもない禍患だ。それを茶化すほど幼稚でなければ余裕がないわけでもない。この男は自分が童子切に気圧されているから、童子切に何かあればその弱味に付け込もうと常に隙を狙っていると思っているのだろう。
あいつだって怪我をすることくらいあるだろう。一々騒ぎ立てるようなことでもない。」
「予想外だ。お前のことだから虎視眈々の如く、あの男の優位に立つ機会を狙って何か行動を起こすと思っていたんだがな」
先程同じ部隊の者に担がれて手入れ部屋に入るのを見たが、随分弱っているようだ。
その笑みに含まれている意味を感じ取って、再び苦虫を潰した。何故この男はこうも分かりにくいことをするのだろうか。
離れていく緑髪の後ろ姿に大包平は小さく舌打ちをして背中を向けた。


廊下は冷たかった。"冷たい"というよりは"寒い"と形容するのが的確だった。
今年の冬は例年よりも比較的暖かい日が多かったが、師走ともなれば流石に気温が下がり一気に冬らしくなった。
大包平は冬が余り好きではなかった。肉の器を得て今年で三回目の冬となるが、未だに寒さには慣れないでいた。刀の時は感じることもなかった四季の感覚は、有難味を感じることもあれば苦い思いをすることもあり良いこと悪いことの半々だった。
人間は昔から冬の寒さを凌ぐために様々な物を用いていたようだが、炬燵や火鉢があるということには何より心強い。
びゅう、と木枯らしが吹いて木に残っていた幾つかの枯葉が風に乗って飛んでいく。痩せ細って貧相な木の枝に残っている葉はさしづめ親から離れたくない子のようだった。だが風が吹けば無慈悲に引き離される。黒々とした葉と痩せっぽちの木が一層寂寥感を際立たせていて、大包平は尚更冬が好きになれなかった。
ここの本丸の庭には桜の木があるが勿論今は花などない裸の木だ。南天山茶花など冬に咲く花もあるが、庭を彩るものの気配などなく、いっそのこと雪でも降れば風情があるがまだそれほどの寒さではなかった。
こんな寂しさしか感じない季節を、肉の器を得たばかりのあの男はどう思っているのだろうかなど空想しながらひんやりとした廊下を歩いた。

童子切が入っている手入れ部屋の前に立つ。手入れ中なので寝ているかとも思ったが、何も言わず入るのには気がひけたので小さく声をかけて障子を開けた。
一式の蒲団の上に寝ている男が一人。紛れもなく重傷を負った童子切安綱だった。
傷の残る顔には幾許か悲痛さが滲み出ていた。途轍もなく苦しそうな表情でも悶え喚いているわけでもないが、苦痛を堪えているかのような表情に大包平は思わず視線が釘付けになる。
常に飄々としていて堂々と構えている男の思わぬ弱りようにどんな顔をしていいか分からなくなる。
どうすることもなく童子切の面を見つめているとその視線を察してか薄い瞼が開かれた。
漆黒の双眸と視線が絡まり数秒ほど交わす。何回か瞬きをした後再び双眸を閉じて床に就こうとする。
「嫌な夢だな…」
「夢じゃない!」
思わず出てしまった大包平の大声に童子切は反射的に飛び起きた。眼前の男に童子切は目を白黒させながら暫し視線を泳がせる。
「…何でお前が?」
「…傷心のお前を労いに来てやったんだ」
柄でもないことを口走る。特別労いに来た訳でも励ましに来た訳でもない。あの同郷に感化されて来たというのはとても癇に障る。
ならば、何のためにここに来たのかと自分に問いかけてみるが答えは出てこなかった。
別に童子切が重傷で手入れ部屋に入ろうがわざわざ見舞いに来るほど心配性でもない。だが同郷にあんなことを言われて内心動揺してしまったのも事実だった。普段威勢がいい奴の弱った姿を見て嘲笑いたかったのだろうか。そんな方法で一時の優越など感じる気はない。では何故か?考えても分からない。

童子切は疑い、困惑、不信など様々な感情を孕んだような表情で大包平を見据えた。何か言いたげな顔だ。戸惑いが尤も多く感じられる。
「気持ち悪い奴。お前そんなことするっけ」
「断じて違う」
「じゃあ何で?」
「自然と足が向かっていたんだ」
「なんとなくで来んなよ。見てわかるだろ、俺重傷だったんだぜ」
片方の眉を吊り上げて狡猾そうに笑う。悪戯好きの少年のような笑みだが、蒲団から出した腕には包帯が巻かれていて痛々しい。体を動かすのもどこか億劫そうで、軽口を叩いているが恐らく傷が痛むのを我慢しているのだろう。
「なーんでよりによってお前が来るの。鬼丸や髭切が来てくれたら嬉しかったんだけどなー」
「ふん、俺が来てやったのにその言い草か」
「別に来てほしいとか言ってないし」
「………………」
「…何だよ?」
「お前、何故重傷を負った?」
ずっと感じていた単純な疑問を投げかける。こう思うのも無理はなかった。
童子切は割と新参で肉の器を得て日は浅いものの、人間の身体に不慣れというわけでもなく特に問題なく順応していて、ここ数週間のうちで怪我を負うことすらほとんどなかった。
そんな男が突然重傷を負ったとなればなぜかと思うのが普通だ。
童子切から笑みが消え、俯いて目を伏せた。ただ沈黙して口を開こうとしなかった。大包平も黙って童子切を見つめた。部屋は静寂に包まれた。

暫しの静謐の後、ゆっくりと童子切は口を開いた。
「一言で言えば庇った、で良いのかな」
「…庇う?」
「今日の出陣も、いつも通り何事もなく終わるはずだったんだが討ち漏らした敵が居たみたいで不意打ちで襲いかかってきたんだ。やられそうになったのが短刀でさ。これはまずい、って反射的に間に入って当然の如く俺はやられたわけよ。相手は大太刀だったからな、下手したら死ぬところだった」
淡々と話す童子切大包平は一瞬胸がちくりと痛むような感覚を覚えた。何でもないように笑うその男の顔は、俯いてて分かりにくかったが必死に取り繕っているかのような笑顔だった。
「まあ、短刀と太刀がやられるんだったら、太刀がやられた方がダメージ小さいよな。俺が重傷だったんなら短刀は破壊されてたかもしれないし。他の隊員が無事なら、俺はそれで十分だ」
顔を上げて大包平に笑いかけた。その笑顔は心の底から笑っているようで、嘘で塗り固められたかのような空虚さを感じた。大包平は直感した。この男は"優しすぎる"と
よく考えてみれば、この男に"自己犠牲"の精神であることを知るなど簡単なことだった。"誰かのため" "他人のため" この男は常に他者の力になれることに何より尽くしてきたのだった。
そんなことをする理由は「見返りを求めてる」わけでも「体裁を気にしている」わけでもない。この男は"優しすぎる"のだ。
この男の優しさは、他者を救い、恵みを与えるが、一定の境界線を越えるとたちまち"薬"から"毒"へと変貌する。
優しさは致死量となって他者を苦しめ、この男に優しくされないと死んでしまう。
そして底なし沼のような心は、弱った者を誘い込み、引きずり込んで溺れさせる。二度と元に戻れないように
そんな恐ろしい優しさに、大包平もまた"見初められた"者の一人だった。


「―お前は馬鹿だ」
静かに言い放つ。まるで自分自身に言い聞かせるように。
「はあ?いきなり馬鹿とは失礼な…」
訝しげな表情をする童子切に飛び込んだ。その優しさの海に身を投げるかのように、ひとつに解け合って、原型が分からなくなるくらい、二人でひとつになれるように、ただひたすら力をこめて抱きしめた。
突然の抱擁に、童子切の体が小さく跳ねた。予想外の行動に驚くのも無理はなかった。
「お前は馬鹿だ。そして俺は正直お前のことがいけ好かない。折角お前と肩を並べて、評されることのできる称号を持っているというのにお前は逃げてばかりで俺のことなど見ようともしない。俺はいつだって、お前のことだけを見ていたのに」
昔から、この男の背中を追いかけてきた。いつからか並んで評されることとなった、片割れの刀は自分とは正反対の経歴を辿り、正反対の考え方を持っていた。一族から持ち出されることもなく、特別な逸話も無く、そんな自分を正反対の空想の中で隣に立つ男のことを無意識に僻んでいた。
"自分には持っていないもの" "持とうと思っても持てないもの" 自分がずっと広くて暗い檻の中で、見ることも叶わない空と同じくらい欲しがっていたものを、この男はいとも簡単に手に入れていたのだった。
刀としての価値なら負けはしないのに、なぜこの男と同等になることができないのかー
長い間、考えまいとしても考えずにはいられなかった男の背中を追いかけ、隣に立つことだけを考えていた。
この男の優しさに、誰よりも毒されていたのは自分自身だったー

「お前一人で背負い込むことじゃない。辛いなら俺も一緒に背負ってやる」
「何で上から目線なんだよ」
「俺はお前の片割れだ。隣に立つ者だ。苦労は二分するのが道理だろう。」
「俺はお前のこと片割れだなんて認めてない」
「勝手に言っていればいい」
ますます力を込めて抱きしめる。若干骨が軋むような感覚がして、小さく童子切が唸った。
「…苦しい。離れろ」
「一人で背負い込まないと約束すれば離してやる」
「……………分かったよ。約束する。約束するから離してくれ」
渋々といった感じであったが童子切の了承の言葉を聞いてゆっくりと抱擁を解く。
「…俺、別に辛くなんかないんだよ。ただ、皆から頼られることが嬉しいんだ。」
「頼られることが強さの証明か。」
「強いから頼られているんだ。それは確かだ」
童子切の自信に満ちた言葉に大包平は思わず口を噤んだ。言い返せなかった、というよりは言い返す言葉がなかった。
この男は自分の強さを理解している。だが、自身の優しさの致死性には気づいていないのだ。
「…すっかり冬になったな」
童子切が不意に呟く。独り言かのような言い方だった。
「ここの庭は、冬に花とか咲くのか?」
「去年は南天が咲いていたが…」
「そうか。じゃあ雪も降ればさぞ綺麗だろうな」
手入れ部屋の障子は雪見障子じゃないから外が見れなくて残念だ、なんて笑う顔に大包平は心を曇らせる。
この男は肉の器を得る前に、雪というものを見たことがあったのだろうか、などと問いかけることも出来ない言葉を飲み込んで。


童子切安綱という男は残酷な男だ。
見せかけだけの優しさで他者を欺き、苦しめ、依存させる。底なし沼なんかよりももっと深い"毒"の海は、人を堕落させる。
だが、その"毒"の海にもう一人、身を投げる者が居るのならその者はどこまでも共に堕ちていくのだろう。
終わりの見えない"優しさ"に添い遂げるたった一人の男がー