くつひもむすべない

一次二次問わずたまに18禁の小説を載せるブログ

Dear My Brother

 兄弟とは何なのだろうか。
いや、何なのだろうかという問いは少し違う。意味は知っている。兄弟とは即ち血縁者、同じ親から生まれた者同士のことだ。
では同じ親から生まれていない、血縁者でもない者同士は兄弟とは呼ばないのだろうか。そんなものは自明だ。そのようなものまで兄弟などと答える者なんて居ない。兄弟の範疇を、定義というものを真剣に考えたことのある者など、この世界にどれほど居るだろうか。少なくとも今までの自分は無かった。茶を飲み、縁側で外の景色を無為に眺めたり、時折庭を散歩したり、出陣したり、傷を負えば手入れをし、身体を休める…
毎日取り留めがないといえばないような日々を過ごしている。傍から見れば非日常とも言える戦いでさえも、刀剣男士として顕現された己にとってはよもや日常であり不可欠なものであった。
肉の器というものはたいそう不思議なもので、毎日同じことをしても無聊を託つこともなくまるで暇を持て余しているかのようなこの生活も日々違ったものを見つけられて面白いものだ。
ただの刀として、美術品として人間に眺められ飾られるのも兇くはないが己の付喪神の魂を宿らせた肉の器というものは思うがままに思考し、動かすことができる。
面白いと思うが反面、縟わしいと思うこともある。怪我をすること、痛みを感じること、余計なことまで憂懼すること。
人の躯を得る前は一度たりとも考えたことのなかったことまでも今となっては考えるようになってしまった。人の躯というものは本当に不思議なもので、一度そのことについて悩み始めると解決するまで頭から離れないらしい。その悩みの種は同郷の"あの男"だ。己がこのようなことを思っているとはまさか知りもしないのだろう。己らしくもない問いかけだ。答えの返ってこない問いかけを想い、思慮に沈みながら鈍色の空を仰いだ。


『"俺"と"大包平"は兄弟なのか』


暖かな日和だった。幸い風もさして吹いておらず、わずかな雲の隙間から青い空が顔をだしていた。寒々しい冬木立の隣にいくつか山茶花が咲いている。まだ霜がかかっていないものは花弁を落とさずに後少しばかりの命を紡いでいるようだ。この季節は一年を通して尤も侘しい景色が広がる。雪でも降れば風情があるのだが、雪がないと見ていて気が滅入るような庭だ。
「花がいくらか散っていますな」
背後から声がして振り返れば派手な容貌にそぐわないいつもの内番着姿の一期一振が立っていた。
「一昨日は霜が降りるほど寒かったからな。仕方ない。お前は内番か、一期一振。」
「畑仕事を終えてきました。大根が沢山とれました。今日の夕餉が楽しみです」
いつものように屈託のない、人当たりのいい笑みを浮かべる。己の心の裡とは裏腹すぎるその面にもはやこちらも釣られて笑いそうになる。側に置いた盆を移動させると、其処に一期一振が腰を下ろした。肩を並べて暫く無言のまま裸の木々を見つめる。どちからということもなく黙っていれば、痺れを切らしたか一期一振が口を開いた。
「鶯丸殿は?」
「見ての通り休憩だ。茶でも飲んで庭を眺めている」
「天気が良いとはいえ、寒いでしょう」
「冬は寒くて当然だ。それに昨日よりかは暖かい。その上そういう気分なのでな」
「ああ、昨日の"あれ"ですか」
あれ、という言葉に眉がぴくりと動いた。一期一振の口ぶりから何を言っているのか理解しているようだった。それも当然だ。この男には昨日己の心の裡を打ち明けている。
「まだお悩みとは、鶯丸殿らしくありませんな」
「俺らしさというものは俺にもよく分かっていない。くよくよ悩むのも俺らしいかもしれんぞ」
「細かいことは気にするな、ではないのですか?」
「そのはずなんだがなぁ」
どうやら想定外の問いに囚われてしまったようだ、という言葉は飲み込んだ。本来些細なことは気にしないのが己の性分だったはずだ。それなのにこのような些末な悩みを抱えるとは、まさに自分らしくなく、どうにも気分が良くない。
「俺と大包平は兄弟だと思っていた。いや、思っていたのではなく今も思っているんだがな。だが、どうしても本当にこれでいいのかと思ってしまうんだ。もしかしたら前から気付いていたのかもしれないが、気づいていないふりをしていたのかもしれない」
大包平、悩みの種であり"兄弟"である男だ。古備前の一派である包平作の太刀で日本刀の横綱とも評されている所以か、共に並び称えられている刀への闘争心や評価には人一倍敏感なようでプライドが高く常に堂々としている反面どこか負い目に感じている部分があるようだった。この大包平という男はたいそう己を退屈させない男で、観察しているだけで無聊を慰めるに丁度いいのだ。
「知っていると思うが、大包平を作刀したのは包平で俺を作刀したのは友成だ。生みの親が違う。兄弟というのはお前たちのように、同じ刀匠から生まれた刀のことをそう呼ぶのだろう。俺は勝手にあいつのことを兄弟だなんて呼んでいるが、実のところは違う」
「確かにそういう意味としては兄弟とは呼べないかもしれませんが…まあ、その、そんなに拘る必要はないのでは?」
「拘るか…細かいことなどどうでもいいと言っている癖に俺もそんなこと気にしているのだろうな」
「私も…弟たちは同じ粟田口で吉光作とはいえ、短刀や脇差と太刀では違うところも多々ある上に太刀が私一振りということもあって疎外感を感じることも時々あります」
「お前が?意外だな」
「と言っても私が勝手に感じているだけです。刀種が違えど弟たちは大切な家族です。弟たちが居るお陰で私は日々生きていけるのですから」
同じほどの目線で相変わらず眩しいほどの柔らかな笑みを見せた。金色の眸は此方の心をお見通しかと言わんばかりに射抜いていて、若干居心地が悪い。
「それに兄弟という枠に捕らわれる必要もないでしょう」
「枠?」
「ええ。鶯丸殿がどうしても、と仰るなら仕方ありませんが兄弟の名に執着する訳ではないのでしたら関係性も他にもありますよ。それに、無理に名をつける必要もありませんしね」





「今から手合わせか」
盆を持って廊下を歩いていると赤毛の頭と逞しい体格の、見慣れた後ろ姿を見つけた。声をかければいつもの赤い軍服を着ている大包平がいつもと変わらない顔で振り向く。
「ああ。お前も来るか」
「いや、俺は遠慮する。あそこは寒い」
道場に行くようだ。当然ながらあの場所は寒いので、炬燵にでも入ってぬくぬく待機するのが得策だ。
心の裡を見透かしたように己よりも高い位置にある灰色の双眸が何か言いたげに語っている。同時に眉間に皺が寄り、眉毛が歪んだ。口を開きかけたが、諦めたのか押し黙った。閉口して暫し経った後、此方から言葉を投げ掛けてやった。
「なあ、大包平
「何だ」
「お前は俺を兄弟だと思っているか」
は?と言いたげに眉を再び顰める。そんなに顔を顰めていたら折角の男前が台無しだぞ、と思いながら大包平は虚空に視線をやった。
「お前は前に俺を兄弟だと言っていただろう…違うのか」
「そうだと思っていた。だがもしかしたらそれ以外の関係性もあるかもしれないのじゃないかと考えてな」
「下らんことを考えるな、お前は」
下らんとは何だ。己の中では人の躯を得て尤も深く悩んだことなのだぞ。たった二日だが。
大包平は暫く黙考したあと、再びその双眸でまっすぐ見据えた。
「兄弟だとか、兄弟ではないだとか、そんなことはどうでもいい。ただこれだけは言える。鶯丸、お前は俺にとって大切な存在であることは間違いない。俺たちの関係性に名前などつける必要はない。ただ黙って近くに居ろ。それだけだ」
その言葉を言ったあと、何を思ったのか押し黙ってしまいよくわかない空気が流れる。途端に居心地が悪そうにして大包平は視線を泳がせ、何か言え!と目で訴えてきた。それを見て思わず笑いが出る。
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。俺もその答えを期待していたぞ」
「突然おかしなことを言い出したかと思えばこれか」
「まあ大切な同郷がこんなこと言ってくれたんだしな。言葉に甘えて今までより一層観察させてもらおうか」
「なっ…実際のところお前の狙いはそれか!」
喧しい怒鳴り声を背に踵を返した。自室に置いた観察日記を取りに行こう。尊大で、誰よりもプライドの高く、己を飽きさせないあの男、兄弟であり友人であり大切な存在である彼を今日も書き留めるために。