くつひもむすべない

一次二次問わずたまに18禁の小説を載せるブログ

花咲く呪

 口から花びらが出てきた。
いや、これは花びらなのだろうか。花びらに見える というのは幻視で本当はただの吐瀉物かもしれない。指先で僅かに吐瀉物に触れ てみる。本物だ。本物の花びらだ。薄氷色のうすい吐瀉物。俺はいつのまに花な んて食べたんだろうか?寝ぼけて食べたのか、誰かが悪戯で入れたのか。 あの日から数日、俺は相変わらず花びらを吐き続けている。吐き気がして口を開けば出てくるのは胃の内容物ではなく何故出てくるのかも分からない花びらだ った。日増しに花びらの数が増えていく。そして同時に息がつまるような感覚が ある。何だ、何なんだこれは。俺の身体はどうなってしまったんだ 廊下を歩いていると、突然咳が出てきた。咳は全く止まらず寧ろ酷くなり途轍もない吐き気がしてきた。

「……どうした?」

背後から声がする。そこに居たのは見慣れた赤髪と見慣れたでかい図体の男だった。いつもなら顔を合わせるのも嫌なのに今ばかりはそんなことどうでも良いくらい苦しかった。
他の奴に見られる恐怖も忘れて思わずその場に倒れ込む。動悸がする。呼吸も速くなる。どんどん苦しくなる。息ができない。しんでしまいそうだ。 童子切、大丈夫かという奴の切羽詰まったような声が頭の中で響く。脳みその中 が空洞になってしまったような感覚だ。この状況が現実感を失ってしまっている。

童子切、つかまれ」

赤髪の男ーーー大包平に上半身を起こされた。大包平の腕が肩に回され次の瞬間には体が浮遊感に包まれた。肩を貸されて立っただけで先程よりも幾分か体が軽くなった。額から汗が伝う。全身が怠くて熱い。高温に熱した鉄が溶けるように自 分の体もどろどろに溶けてしまうんじゃないかという恐怖感が、なぜだか脳を支 配した。

大包平の肩を借りて少しずつ脚下を進んでいく。廊下ってこんなに長かっただろうか。この本丸はこんなに静かだっただろうか。この体はこんなにも重かっただろうか。

「事情は後で聞くから今は何も考えるな」

いつもより何だか優しく聞こえる声に黙って身を任せるしかなかった。
部屋につくと、大包平の腕が離れ半ば転げるように畳に倒れた。

不快感が先程よりも増している。胃の中から何かがせり上がってくるような感覚 に介にも姿いてしまいそうになる。だが、 ここ数日の出来事からその"何か"の正体を知っていた。それが尚更己の不快さを増幅させていたのだった。

「おい大丈夫か?布団を敷くか?」

「いや…大丈夫…だから」

大丈夫とは言ったものの、不快さは止まることなく美しついには嘱吐感まで出 てきた。畳に蹲ることしか出来ず視界が霞む。心配している大包平の姿すら上手く捉えることもままならず、咳き込み始めた。喉の奥から上がってくる。ああ、あれだ。あれが来る。ごほっごほっと劈くような咳と共に口から出てきたのは薄い青の花びら。だが つもと少し違った。いつもは数枚程度なのに今回は波板ほど出た。 か、今日はいつもと何もかも違う。

「ど、童子切…」

花びらを吐き出して咳も落ち着き、視界が明瞭になった時頭上からかけられたのは奴の困惑した声だった。目の前の光景に何が起きてるのか分からないとでも言うような顔だ。

「…大丈夫か」

「まあ..今はだいぶ落ち着いたから大丈夫だが……」
 
「…………………」

「驚くよな こんなの見せられたら」

「いや……その花びらは俺の間違いでなければ、お前の口から吐き出されたということなのだろうな?」

その神妙な声色に思わず全身が締め付けられる。うに強ばった。紛れもない事実 だ。見られた以上言い逃れをすることは不可能だ。大包平に隠し通すことはもう できない。しかし口封じをすることはできる。大包所何き合うようは産直し 頭を下げた。

「そうだ。 だけど、このことは皆には黙っていてれないか。心配かけたくないんだ」

「…………」

「……頼む」

「わかった」

何とか了承してくれたようだった。相変わらず思わしげな表情をしているが、義理堅い男だ。一度した約束を破るようなことはしないだろう

童子切、一つ俺とも約束して欲しい」

「...何だ?」

「俺を頼れ。いつでもいい。大したことなくても良いから何かあったらすぐに俺に言え」

射貫くような灰色の双眸に思わず息を飲んだ。本当にこの男らしいなと思う っている者が居れば絶対に放って置かず、出来る限り尽力するように努める。そんないつも真摯なその姿勢を見るたびに思わず笑みがこぼれてしまうのだ。

「...ありがとうな。大包平

「それにしてもおかしな現象だたな。 いつからだ?」

「一週間くらい前かな。特に前触れとかもなく、突然価なんだろな、これ。何かの病気とか。 」

語しながら大包平が畳に落ちた花びらに触れる。どこからどう見ても何の変哲もない花びらだ。そのへんに咲いている花と特に変わったところはない。不可解な奇病に謎は深まるばかりであった。

*

  それから数週間経っても奇病が治まることはなかった。
しかし前と違うところもあった。
発作は波のようで日によって回数が変わり、激しい時とそうでない時がある。症状が安定しないのだ。そしていつ発作が起きるか分からず、自分でコントロールすることも出来ないので大多数がいる場に出ることを避けるようになった出陣や演練の回数が減り、専ら内番や鍛錬の方が増えてしまた。悔しくもあるがこの無様な姿を他の仲間たちには見せたくない。その思いの方が先行するのだった。 

newpage

  自室で一人本を読んでいると、襖の向こうから声がかかり開けられた。 それはこの数週間で嫌というほど見慣れた大包平だった。大包平はあの時の約束通り誰にもあのことを言わなかった。そして俺も大包平のことを頼るようになった。どちらかというと大包平の方が率先して世話を焼いてくるのだが、前よりも 一緒に過ごす時間が増え寧ろ一緒に居るのが当然となってしまった。しかし以前は気付かなかったような大包平の優しさに触れたせいなのか傍に奴が居ないと一抹の寂しさを感じるようになってしまったことは想定外だった。奴の同郷である鶯丸にさえ「お前たち本当に仲が良いな」などと茶化されるようにまでなってしまったのだから、失笑ものだ。

童子切、来い」

「来いって 何だよ。ここじゃ駄目なのか?」

「駄目だ。良いから来い」

ずかずかと大股で部屋に踏み入れてきて、手を取っは本当強引な男だとつくづく思う。

「お前今日は外に出たのか?読書もいいが、外にも出なくては駄目だぞ」
 
「はいはいごめんなさい」

はいはいじゃないぞ!という声を無視して本丸の庭に出れば、空は暁色に染まり線の先には煌々とした太陽が沈みかけていた。夕陽は鉄を溶かしたように赤く、普段見る夕陽とは断然に違った。

「こんなに締麗だと明日は晴れだな」

「なら、明日はどこか出掛けるか?」

「俺、本が読みたいんだけどなあ」

「お前そんなこと言って最近出不精になっているだろう!」

一時の他愛のない会話で花びらのことも忘れられる。二人で過ごす時間が増えていくたびに自分の中の奴の存在が大きくなっていくようで同時に何かが胸の中で燻る。そのことが何ともいいようのない感情にさせるのだ。

大包平 ありがとな」

「礼はいらん。俺が勝手にやっているだけだ」」

夕日に照らされている大包平の横顔は心なしか赤く見えた。

今朝から大包平の姿が見えない。
朝は絶対に姿を現すのに。寝坊か?いや、奴に限ってこんな時間まで眠りこけているとは考えられない。出陣や遠征とは聞いていないから恐らく本丸には居るだろう庭をあてもなく歩いていればどこからか咳き込むような音が聞こえた。何だか心 当たりがあるような気がして音がした方に歩いていけは、井戸の前に見慣れた後ろ姿を捉えた。

大包平

名前を呼べばびくっと大きく背中を震わせて、奴は恐る恐るといわんばかりに張り返った。額には脂汗が浮かんでおり憔悴したような顔つきだ。 

「………………」

「ど、童子切…」

「なあ、大包平。お前もしかして、 」 

「い、いや、これは…!」  

足早に大包平に近寄っていき、肩を掴んで振り向かせた。その時視線の端になに か小さいものが落ちるのが見えた。足許に視線を落とす。黄粉色の土と対比するように、先日見た夕陽よりも赤々とした花びらが数枚落ちていた

「姿を見せなかったのはこういうことか。 」

「...悪い」

大包平は気まずそうに視線を伏せた。大包平がこうなったことには心当たりがあ った。数週間前、大包平に花びらのことを知られ、約束を交わした後大包平は俺が吐いた花びらに触れた。恐らくあれで“感染"したりではないかと思う。

「全部俺のせいだよな…俺が巻き込んだから…ほんとにごめん」

「違う!お前のせいじゃない!俺が無理やり首を突っ込んだんだ。お前を放っておけなくて…お前の力になりたくて…お前に頼られたかった…」

いつもの威勢はどこかに消え、咳き込みすぎたせいか少し掠れた声にますます自分の胸が締め付けられるのを感じた。

「俺もお前が傍に居てくれて嬉しかった。お前が居てくれたからこうしていられるんだ」

「……………………」
 
「なあ、本音を言ってもいいか?」

「...ああ」

「これからも一緒に居たい。傍に居てほしいんだ。駄目かな…?」

その言葉に大包平は驚いたように目を見開いた後、小さく笑って頷いた。直後、 互いに花びらを吐いた。白銀の百合だった。二度と花びらを吐くことはないという証だった。