六十九回目の追憶
「こんなところでどうしたんだよ」
童子切が背後から声をかければ大包平は大きな体躯を億劫そうに動かして振り返った。突然の童子切にもさして驚いているようでもなかった。大包平と童子切は本体が互いに離れた距離にある。本来ならばこうして顔を合わせることは非常に難しい。しかし本体から生み出された分霊ならば本体がなくとも自由に動き回ることが出来る。大包平が童子切に対して驚いていないのもそれが理由だ。 大包平は童子切に暫し一警を与えたあと再び顔を背けて呟いた。
「見れば分かるだろう」
「今までの自分の経歴を思い返して感傷に浸ってるってことは分かる」
全く違う、と言い返すのを躊躇って大包平は背後を睨んだ。童子切は大包平の方 に向かってくると黙って隣に腰を下ろした。いつもは真っ直ぐ伸びている背中も今だけは丸くなっている。大包平と対比するように童子切は体を伸ばして空を 見上げる。一面雲一つない青が広がっていた。
「折角の記念日なんだしもっと嬉しそうにすれば良いのに」
「嬉しそうに、だと?」
6月9日、今日大包平が国宝に指定されたという通達が届いた。もちろん童子切 も、同じく天下五剣なら三日月宗近も一緒だ。大包平は以前から国宝だった。 5年前に指定された法が改正されたことによって新たに新国宝となったのだ。国宝となるのは大変喜ばしいことだ。厳重に保管され杜撰に扱われることもない。
そして何より箔がつく。しかし、大包平はそれを単純に喜ぶことが出来なかった。 こんなことは大して喜ぶようなことでもない。
「本当かなあ…」
「…なんだ」
「もしかして、新国宝になったことで益々コンプレックスが加速してたり?」
大包平は童子切の言葉に思わず動揺を見せた。決してその言葉が本心だというわけではないが、動揺を露にしてしまった以上それが本心だと思われるのは非常に癪だった。
「そんな深く考える必要ないと思うけどな」
「俺は決して気にしているわけでは…!」
「また国宝でいられて嬉しーで良いんじゃないのか。俺はそう思ってるけど」
「………………………」
今回の文化財保護法の試行によって「国宝」では無くなった物もある。天下五剣の数珠丸恒次もそうだ。国宝でなくなったからといって、その刀の品位が下がるわけが無いがそれでも大包平としては複雑だった。
「大包平は人間からの評価が気になって仕方ないみたいだなあ」
「別に気にしているわけではない!見出だされるのが遅かっただけだ」
いつものお決まりの文句に童子切は思わず苦笑する。
「刃生って振り子みたいなもんだよな。左に行ったり右に行ったり、速くなったり遅くなったり。ずっと同じ状態が続くなんてことは有り得ないんだよ」
「俺は長らく同じ家に居るが」
「それは今の話だろ?いつかは違うところに行くかもしれないじゃないか」
幾多の主を転々としてきた童子切が言うと妙に説得力のある言葉だった。
「もしかしたらこの先俺とお前が同じ主の元に行く可能性だってあるじゃないか」
「俺たちを所有できる人間などいるものか」
大包平と童子切が同じ人間の元に居たことは一度もない。刀の収集が好きだった 豊臣秀吉も、天下人であった徳川家康でさえ不可能だった。そもそも大包平は池田家から出るということさえ考えられなかった。
「俺たち近々同じ場所に行く予感がするんだよな」
「俺とお前が同じ…」
「個人の元じゃなくて博物館とかだと思うけどな」
博物館、という言葉を大包平は反芻した。博物館ということは不特定多数の人間の目に触れられるということだ。今までもその経験はあったが祝い事の際くらいで決してその回数が多いわけではない。
「人間の目ばっかり気にしてる大包平には無理かなー」
「お前に出来て俺に不可能なことがあるか!」
つかさず言い返して大包平は童子切がけらけら笑っているのを見て、童子切の思惑通りの返しをしたことに気づいて顔をしかめた。
「俺も昔は人間に見られるのは嫌だったからその気持ち分かるよ」
「お前が?」
「意外に思う?」
「まあな」
童子切は大包平と違って様々な人間の元へ行き、刃生の酸いも甘いも経験した刀だ。きっとその経験の中では良いことばかりがあったわけではないだろう。童子切もかつては自分と同じような苦悩があったのだろうかと考えて大包平はふとある思いが脳裏に過った。
「なあ」
「何だよ」
「…お前も昔は"人間からの評価を気にして"いたのか」
童子切は大包平の言葉に特に戸惑うこともなく、悠然と笑った。
「もう随分昔の話だ」